神はいるか
 一つ上へ

昔、ある国に武具を売る人がいました。
その人は商品の矛を誉めてこう言いました。
「この矛はとてもよくものを通す!どんな盾でもつらぬくだろう。」
またもう一方の商品の盾を誉めてこう言いました。
「この盾はとても丈夫で、どんな鋭利な刃でもこの盾を貫き通すことはできないだろう。」と。
そこで客がこういいました。
「その矛でその盾をついたらどうなりますか?」と。
商人は答えることができませんでした。

矛盾(むじゅん)という言葉が生まれた有名な話である。

数年前、この世に神というものが存在するのかどうか考えた事がある。……神とは何か。
仮に1円玉を宙に浮かせられる人がいて
「私は神である。」と言ったらどうか?
神と呼ぶのはおこがましい。ただの超能力者である。
では何でもできる人がいたら…、瞬間移動から物質の消失、天地創造…いわゆる全能という存在。
…それは神と言える存在なのではないだろうか。
だとしたら神は存在するのだろうか。全能ということがありうるのか。

…しかし全能とはそれ”単体”ですでに矛盾している。
ちゃちな例えだが、なんでもできる存在なら”自分の言うことを聞かない人”を作れるだろう。作れないならば全能ではなく、作れるならばその人にいうことを聞かせられないのでこっちの場合も全能ではない。

神がいるかはわからないが、少なくとも全能と呼べる存在はいなさそうである






遠い国の童話
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ヨーロッパのある国の話。
アルプスのふもとに働き者の羊飼がいました。毎日一生懸命働くのですが、彼の暮らしは貧しく、一向によくなりませんでした。
ある日、羊飼は数匹の野生の羊に出会いました。
そして羊飼は、
「君達もこの餌を食べなよ」
と、彼等にも餌を与えました。
そして羊飼はこう尋ねます
「おいしかったかい?君達にも餌をあげたのだから、君達も僕の羊になってくれないかい?」
…しかし、野生の羊達はこう答えました。
「あなたは自分の羊達の餌から私達に餌をくれました。しかしあなたは自分の羊よりも他の羊を大切にしてしまっている。だから”あなたの羊”にはなりたくない」 と。

身内よりも他人を大事にしてしまっている人は少なくないと思う。これを読んだ方は今日中に家族の誰かになにかしてあげましょう。






姉妹の心
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最近北海道の子の日記を読んで深くうなずけたものがある。その内容は、
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その子は妹と自分を比較していくつかの点で自分が劣っていると思っているらしい。
しかし、自分はそのことを気にせずに今まですごすことができたようだ。
その理由は、親が今までに自分と妹を比べなかったからである!
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我が経験と照らし合わせると同時に思わず深く考えさせられる。
親の影響というのは確かに大きい。
実際親に比較された時は衝撃的だと思う。自分が親になった時、参考にしていきたい意見に出会うことができた。