真実と事実
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ピンポーン。家に宗教勧誘が来た。自分の名前と住所、ああいう人らはどこで調べたのか。

余談だがキリスト教とイスラム教の神は同一らしい。キリスト教は神は”ゴッド”でその意志を伝えたのが
”イエス・キリスト”となっているが、イスラム教ではその”ゴッド”を”アッラー”と呼び、キリストの果たせなかった役目を”マホメット”が人々に教え説いたとなっている。

そういう話なら面白く聞けそうだが…。そんな訳もなく勧誘者の話は長い。 理屈っぽい自分に宗教の話はとても退屈だった。
「この時代にイエスは言っています。神は丸い地を無にかけてらっしゃる。と。おわかりですね?その時から地球が丸いことや宇宙の存在を知っていたのです。」
どうとでもとれる無理な理屈だが聞き流しながらいろいろ考える。

17世紀頃、ヨーロッパではキリスト教の力が強く、地動説を唱えたガリレオなどは宗教裁判にかけられました。
民衆は”すべては地球の周りを回っている”という教会の教えをうのみにしていて ガリレオをばかにしてはいますが…

見た事もないのに、政府が出している教科書をうのみにして地球は丸いと思い込んでいる僕らも当時の民衆とどこも変わらないだろう。

この先科学が発達して今の考えが否定される事だって考えられる。あるいは極端に言えば政府が僕らをだましている、だとか。

こう言ってみたら面白かったかもしれない。
「本当に地球は丸いんですか?」と。
きっと彼も見たことはないだろうから






万物生物論
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人が死んだらどうなるか?生まれ変わるのか?”肉体と精神”という構図は存在するのか?意志はどこにあるか?
人間の体を構成しているすべての物質は大体2年周期でほとんど入れ替わります。
今自分が食べているごはんは、これから自分の一部になるわけですが、逆に今目の前に生えている草は、物質的に見て10年前は自分の一部だったかもしれないのです。
では何をもってして自分というアイデンティティーを確立するか?
”自分の体を構成している物質”で見ると2年後には地球へ還ってしまう。では”何が僕”か?

宇宙ができた頃は物質が混沌としているだけで、生物はいなかったわけだが、そこから生物が生まれたとすると、宇宙には生物になる”もと”に相当するものがあったことになる。

それはきっと”生き物であろうとする意志”のようなもので、これがなければもとの混沌のままだったかもしれない。
生き物が死ぬと、その体はただの物質になり、そこに宿っていた”意志”もそれぞれ宇宙に還るのだとすると、
この宇宙こそ、途方もなく長い周期で循環する、大きい意味での生物にもみえる














万物無生物論
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自分は占いは全く信じないが運命というのは信じる。人の運命は決まっているという考え方。

あなたは一年後に結婚する。だとか
あなたはニ年後に前歯を折る。だとか
「そんなのこれから先彼がどういう風に生きていくかによって違うじゃないか!」と、多分反論される。

例えばある朝、友達の肩をポンと押した時、彼は振り返って「どうした?」 と言ったとする。
例えばある部屋でボールをポンと押した時、前にごろごろと転がっていったとする。

物質であるボールは押したら転がることは予知できて。
生き物である彼の場合は振り返るかどうか?なんと言うか?という事はわからない。
というのが一般的な考えだろう。

しかしこの二つは同じではなかろうか?

それを考える時、生き物とそうでないものの違いを考える。何をもってして"生きている"というのか?
病院では心臓が止まったらどうとか、脳機能が停止したらどうとか、
でも脳のない微生物や心臓のない植物は生き物でないというわけにはいかない。
また”子孫を繁栄させるのが生物”と言ってしまっても、生殖機能のなくなった老人は生物でないとは言えない。
”細胞分裂をおこなっているかどうか?”という境界線なら生物と無生物をうまく区別できそうである。

地球に海ができた頃、隕石の衝突や、落雷の衝撃などで、いろいろな物質ができたであろう。いろいろな化学物質も。
そんな中で”自分の構造とまったく同じものを作る”という性質をもった”デオキシリボ核酸”という科学物質ができた。
略称”DNA”と呼ばれるものである。
DNAはその性質により自分を増やし続け、そのうちに自分の周りに衣をまとって単細胞生物となる。
”それ”はすでに境界線をくぐっている。
生き物なんてのは生きていて生きていないようなものではなかろうか?ただの科学物質の集まりで、

今までの彼の経験や育ってきた環境、産まれてきた時の状態によって彼の脳は作られている。
そう、彼が肩を押された時、リアクションは決まっていたのだ。
ボールが必ず前に転がるように。
彼の脳の中の原子配列が”神様”とかによって瞬時に変えられない限り、彼がどんな時、どんな事をされて、どう思い、どういう行動に出るかとか

生き物の営みも自然現象というか、もちろん周りの環境も、物理現象の実世界版みたいに、この先この世界でどんなアクシデントにあうかとかも、”今の時点”ですでに決まっていて、
彼は前歯を折るのだ

きっとこの宇宙の行く末も…  運命という言葉をあてはめたくなる