私にとって間違いない?
 一つ上へ

僕はこう思うんだ。例えば3人の兄弟がいて、プリンが一つあったとする。
長男は「僕は年上だからたくさん食べる。歳に応じて大きく切ろう」と。
次男は「じゃんけんで勝った人が全部食べよう。チャンスは一緒だから平等だ。」と。
三男は「平等な大きさに切って分けよう。それがほんとの平等だ。」と。
矛盾してるようで、同じようで、全員正しいようで、間違ってるようで、
各々主張する理屈はあるのだけれど。
でも一つだけ言えるのは、
みんな"自分が平等と思うわけ方"で分けたいだけなんだということ。

例えば長男の思うプリンの分け方が他の兄弟にとって平等であるはずがない。
実世界においてもうまくやってるつもりがよかれと思ってるのは自分だけという事はあるだろう。

基本的に自分はモラル的な事を気づくのが人より遅いと思う。

人に頼みごとをするのはそれが何であれ悪でないと思ってた。
嫌なら断ればいいじゃん、と。
頼みごと断られると人は嫌な気持ちになるかもしれないけど
だったら断られるのは僕だからいいじゃん、と。
断られても平気だから別に自分は覚悟できてるからとりあえず頼もう、と。
でもそれはちがっていて。
人は何かを断る時、相手に対して嫌な態度をとらなければならないから神経をつかいます。
だからストレスがたまってしまいます。

謙虚な気持ちというのは結構大事だったようで
どんなに自分が正しいと思える理由があっても。
正しいと思えば思うほど、それは自分にとっての偏ったものになるかもしれない













街角のテロリスト
一つ上へ

バイト先の同僚の子が外人に親切にしてあげたらテロの予告をうけたらしいです。
「あなたいい人だから、よいこと教えてあげます。来月ディズニーランドかユニバーサルスタジオでテロがあります。行かないようにしてください。」
と。

僕の友達の弟と友達の娘さんもそんなことがあったようで。
名古屋で道を教えてあげたら
「あなた親切だからいいこと教えてあげる。」って名古屋でのテロの予告をうけたようで。
まったく同じ言い回しです。
自分としてはかなり腹立たしいですね。
本人は「え〜。こわ〜い!!」とか言ってますが。

はっきり言ってその外人の行為は親切なんてものではありません。
僕だったら即警察につきだします。
彼等の言ってることはおそらく嘘だろうけど。
”そう言うと日本人が驚くから”ってことで楽しんでるんでしょうか?
とてもじゃないけどその狂言は”冗談でした”ですまされるような内容ではないと思います。
仮に本当だとすれば日本人として彼をほっとくわけにはいきません。
重要参考人として警察に突き出します!

ラディン氏はブッシュ政権を打倒し、恐怖をもってアメリカを支配しようとしたのでしょうか。
テロとはテロリズムの略で、ある政治目的を実現するための暴動や殺人などをさします。
今、アメリカ政府はテロ撲滅を盛んに叫んでいます。
ところで第2次世界大戦ではどうだったのでしょうか。
その頃、日本は主にアメリカと戦っていました。同盟国のイタリア、ドイツが降服していくなかで、ボロボロになりながら粘り強く戦いを続けていました。
しかしアメリカは早く降服してほしかったのです。
イタリア、ドイツの降服により今まで欧州で戦っていた国まで日本に攻撃をしかけると、日本が降服した時、アメリカが日本を統治できなくなります。
樺太、北海道に侵攻中のソ連とは北方領土で話がついていたようですが、
”アメリカ対日本”の構図ができているうちに日本が降服すれば アメリカの独占的な日本政府への介入に文句を言う国は出てこないでしょう。
だとすれば、アメリカが広島、長崎に落とした原爆こそ、人類史上最悪のテロだったとも言える。








喧嘩両救済
 一つ上へ
ある人がピカソに言いました。
「私はあなたの絵が理解できません。一体何が芸術なのかさっぱりわかりません。」と。
するとピカソはこう答えました。
「私の絵は、いや、絵画に限らず芸術というものは鳥のさえずりのように。
それを美しいと愛でる者もいればやかましく感じる者もいるのだ」と。


人はなぜ喧嘩するのか?苦手な人というのが存在するのか?
誰かと誰かが嫌いあったりして、仲が悪くなったりするけど、
その二人だって最初から仲が悪かったわけじゃない。
学校でクラスが一緒になったり、家が近かったりしてできた友達と最初にあった時、
”これからこいつといがみ合ってやっていこう”なんて考える人はいない。
初対面の人に対しては誰だってその人がもつ最高の礼をもって相手をする。
”友達(同僚)として仲良くやっていきたいな”と。
そう思いあっている二人がどうして喧嘩しなければならないのか。
それはすべて誤解によるものではないのかと。
”仲良くやっていきたい心”がある日を境に突然なくなってしまうのではなくて、
相手が良心から起こした行動なのにそうでないと誤解するのだ。あるいはされるのだ。
そうして誤解した相手が本当に良心のない行動に出た時からなにかが崩れはじめる。
だからもっと話そう。笑ったり

意地になって どうしたらよいかわからなくなったとき言われた
「自分がどうしたいかじゃなくて、どうしている自分が好きなのか考えるといいよ。」
という言葉を忘れない。

人と自分は違うのだけれど、受け入れるのは結構大変で。
しかし自分が理解できないからといって”ああ、あれは変な人”と決めつけてはかわいそうだし、もったいないと思った。